町の “顔役” として 60余年続いた飲食店跡

九日町・旧飲食店「食堂 美寿々」
オーナー 小日向 忠さん・孝さん

信濃大町駅から北へ抜ける商店街の一画、塩の道・千国街道沿いにその空き店舗はある。

「ここはもともと私が生まれた家で、住宅を改装して昭和29年に父親と一緒に食堂を始めました。 最初は板葺き木小屋(けごや)だったんですよ。」

オーナーの小日向 忠さんは御年84歳。お話を伺いに訪れると、しっかりとした口調で話し始めた。

「父親は教員でしたが、退職した折に町のみなさんが集まれるような場所を作りたいってことで食 堂を始めたんです。最初は丼ものや定食、中華そば、うどんなんかを出して賑わっていました」

集合写真の後ろに写る板葺きの家が小日向さんの生家。
創業当初はこの家を改装して食堂を始めた。

当時、忠さんは20代前半。お父上の想いを受け、この食堂を弟の孝さんと共に請け負った。その後 経営が軌道に乗ると、昭和32年ごろに店舗と住宅を完全に分ける形で新築。裏手に住居を構え、店 舗は現在に近い2階建てになった。

「我々に料理の覚えはないから職人を雇って始めて。昭和35年ごろには寿司も出すようになりまし た。そのころから町の皆さんによく使ってもらえるようになって、中には名物と言われるような料 理もあったんですよ」― 忠さんは懐かしそうにそう話す。

「昭和63年には2階を改装して座敷にして、本格的に宴会もできるようにしたんです」 2階の座敷はふすまで仕切れば2部屋。開放すれば28畳ある。広いこの2階座敷ではご近所さんが祭 ごとや集まりの慰労のために利用したそうだ。

観光バスへの仕出し弁当の包み紙(右)と、観光ツアー会社が作成したパンフレット(左)。

「最盛期には従業員が10名くらいいて、広い厨房を全部使って料理を作っていたもんです。黒部ダムができて観光が盛んになると、ツアー客相手に朝定食を提供したり、仕出しで弁当を出したりし てね。朝から晩までお客さんの対応をしていましたよ」1階、2階を合わせて120名ほどのお客さんの 対応をしていた。

「平成20年に身体を壊してしまって、それで一度お店を手放したんです。だけど『美寿々』の屋号 はそのままにして欲しい、飲食店をやって欲しいって条件はつけました」

忠さんから店舗を引き継いだ方は、宴会もできる蕎麦屋として平成29年の8月まで営業していた。忠さんご家族が食堂を始めた昭和29年から数えると、実 に60年近くも飲食店として営業していたことになる。

2階座敷。黒部ダム観光が盛んになると 100 名ほどがここで朝食をとった。

「美寿々さんがお店を閉めてからこの辺りは火が消えたようだ、ってよく町の人に言われるんです」弟の孝さんがふとそんなことをもらした。

「できれば私も、今までのように飲食店をやりたいって想いもある。少なからず町のみなさんに愛された料理もあるしね。だけど年齢を考えると、若い方 にやってもらったほうがいいと思って」そう話す忠さんは、店舗を貸し出す形で使ってもらうことが理想だという。

忠さんのお話を聞きながら想うこと。それはこのお店が町の“顔役”としてご近所さんに愛され、それ以上に大町市にとっても象徴的なお店であったという こと。それだけに、現在はガランとしてしまった厨房を見ながら話す忠さんからは寂しさと共に、年老いてなお地域に貢献したいという強い想いを伺い知 ることができた。

そんなオーナーの想いを汲んで事業を始めたい方は、小日向ご兄弟にお話を伺ってみてはどうだろうか。きっと心強い味方となって、あなたの事業をサポートしてくれるだろう。