手引き鋸職人から金物店へ
時代とともに生きた鍛冶職人の家

日ノ出町・旧金物店「オビ金物店」
オーナー 小尾(おび)信二さん

昔から大町に住む人に「日ノ出町」のイメージを聞くと、ほとんどの人が「呑み屋街」と答えるだろう。そんな飲食店が立ち並ぶ日ノ出町の一角に、オビ金物店はある。

所狭しと商品が並んだままの店舗内

ここは小尾(おび)信二さんの実家で、昭和18年に小尾さんの祖父・覚之助さんが「小尾鋸(のこぎり)店」として開業したのが始まりだ。信二さんの幼い記憶にあるのは、鍛冶場で働く家族や職人の勇ましい声だ。「今の1階のトイレ辺りが鍛冶場で、祖父と住み込みの職人2,3人がノコギリの“目立て”をしていました。鞴(ふいご)を使って鉄を打つ姿をうっすら覚えています」

覚之助さんは腕が良く、遠く松本からも大工が買いに来たという。「3か月待ちなんてこともあって、早く納品してもらいたい人はお米とか野菜とか持ってきて、せかしたらしいよ」と笑う。そのうちお客さんの要望でノコギリ以外のノミやカンナ、山道具も扱うようになり、父・八三郎さんの代の昭和20年に「小尾打刃物店」になった。

戦前戦後、大町では黒部ダムを始めとする大型事業が次々に始まり、それはそれは賑やかだった。「この辺の商売人は皆ダムの人たちの給料日を知っていて、今日はうんと人が来るぞ、と準備をしていました」

父・八三郎さんの頃の「小尾打刃物店」

ダムや工場で働く人達は食事をしに日ノ出町に繰り出し、鍋や食器など日用品を求めるようになる。取り扱う商品は多岐に渡るようになり、昭和47年の建て替えとともに店名を現在の「オビ金物店」に変えた。

オビ金物店は東西どちらも隣の建物が隣接していて、建物は奥に長い。1階の店舗の奥と2階は住居スペースだ。店舗の上部は日当たりが良く、小尾さんの家族の思い出が詰まった場所。窓から下を眺めながら「この道には小川が流れていて、幼いころは入って遊んだよ。すぐそばに芸者さんの置屋があって、昼間は練習してる三味線の音が聞こえたりね」と風流な記憶もある。ベランダは中華料理の「俵屋飯店」と背中合わせで接しているため「ラーメン3つ、ベランダ越しに注文したこともあったね(笑)」

子供の頃を過ごした部屋で語る小尾信二さん

金物店は平成17年まで小尾さんの母が一人で営業をしていた。3年前まで使っていた家だが、風呂やトイレ・下水道はリフォームが必要だ。「貸してもいいし、売ってもいいし、壊して駐車場? それはもったいないか……。住んでて便利な場所なんでね、飲食店も多いし。だれかが使ってくれて、この通りに光が灯ると嬉しいです」

小尾さんは実は地元で知られたシンセサイザー奏者でもある。自身もアーティストなため、クリエイティブな仕事に理解があるだろう。地域の活動や活性化にも取り組む小尾さんなので、いろいろな相談にも乗ってくれる。信濃大町駅から徒歩4分、店舗と家の使い方はアイディア次第、道に面した明るい事務所兼住宅としての利用もおすすめだ。